2008年5月8日木曜日

試合と稽古

前回書いたところを読み返して、試合と錬成会の区別がつかない子がいることを書いた。
私の先生は、いつも『試合は稽古のように、稽古は試合のように』という。
それは気持ちの問題で、取り組みの姿勢はやはり、『試合は試合、稽古は稽古』、基本ができないと応用はできないと思っている。
稽古は自分自身を修正する場所。試合は自分の課題を見つける場所である。稽古で見つけられない課題が必ずあるはず。
それが現れるのが試合の場。稽古は試合で発見した新たな課題を修正する場だと思う。
積み重ねたことを崩されて、また積み重ねる。
気の遠くなるような自分との戦いが道を究めることなんでしょうねぇ。

極道とは違う、究道です。

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