2008年11月30日日曜日

受験生の親

昨日、学級PTAの懇親会がありました。
受験生の親ともなると、受験校のレベル、制服、受験料、その他諸々にかかる経費などなど話題は尽きず、最後には、「中学生までは親の出番があるけれど、高校に進むとインターハイの地区大会なんかあっても応援に行けないよね」としんみりするのでした。
あと受験まで100日。
校内推薦会議まで10日。
娘の部活引退で、どよ〜んとしたのも束の間、今度は受験でどよ〜んとしています。

2008年11月23日日曜日

高橋勝一旗争奪少年剣道錬成大会

今日は水沢のZアリーナで高橋勝一旗争奪剣道大会がありました。
どのチームも春先よりすっと稽古してきたことがよくわかりました。

こういう大会に課題が見つかるものですね。
足、声、竹刀のふりあげ、タイミング。
どれをとっても不足しているなと思います。
どうしたらいいんでしょうね。
まず自分がやってみる。
その後、どうしたら楽しく稽古できるか工夫する。
やってみる。
(最近は楽しくないと、稽古じゃないみたいなところがあるもんねぇ)

ところで,岩谷堂スポ少チームは,残念ながら水沢の佐倉河に準決勝で惜敗。
本当によく3,4年生で5,6年生チームに健闘しました。(\^v^/)

ですが、いつもより大会が早く終わってしまったのはどうしてなんでしょうか。14時前に閉会式!?

2,3年前は暗くなる頃に帰ったような気がするんですけど。
チーム数、選手数が少なくなったんでしょうかね。
そういえば,最近いろんなスポ少ができてきましたから。
卓球,バドミントン,野球,柔道,ドッジボール,ビーチボールバレー,ミニバスケットボール,サッカー…。
子ども達の取り合いです。

2008年11月16日日曜日

スズキ先生復活

6月の大会で負傷されたスズキ先生が今日の稽古で復活!!!
やはり、道場内の空気が違いますねぇ。
半年近くもお休みしていたとは思えない打ちと動きに、さすがだなと思いました。
途中、県新人戦から帰ってきたアベ先生も、「スズキ先生!?」と復活に驚き!
しばらくぶりだから、体調も考えて中学生とは稽古しないのかと思ったら、しっかり、それも、以前よりなんか余裕ってな感じで相手してました。

あ〜、早く本格復帰して欲しいものです。
(やはり、まだ本格復帰というわけにはいかないようです。だって、帰りに負傷した足をちょっと引きずっていましたから。でもリハビリだと思ってまた御指導ください。)

2008年11月14日金曜日

今日は当たり日

今日は、まず自転車に乗っていて腕時計で時刻を確認しようとしたら、総合支所前の案内柱に激突!
回避しようと思ったのに…。

次に、税務課に税金を払いにいこうと思い待合コーナーの椅子に激突。

左手小指と、右ひざを打撲です。

さあ、今日の帰りは何に当たるかなぁ。
ためしに宝くじ買ってみようかな?

2008年11月9日日曜日

個人的岩谷堂再発見

昨日、光明寺に行く機会があり、そこからの景色が最高だったので写真を撮って来ました。
昨日は盛岡に初雪が降り、また種山、越路辺りにも初雪が降ったとか…。
寒いはずだ。それだけにいい景色に見えたのかもね。

2008年11月5日水曜日

もう一つの剣道大会

11月3日
巷の剣士の間では全日本剣道選手権で盛り上がりますが、岩手県の剣道スポ少関係者にとっては、県下スポ少剣道大会が恒例行事。
今年は全国交流大会の選手選考も兼ねているため、小学生中学生ともに個人戦のみ。
岩谷堂チームは善戦するも、一人は1回戦敗退。
3人は2回戦敗退。

引退した中学3年生も岩谷堂の垂れネームをつけて出場。
男子は4回戦敗退。
女子3名は3回戦敗退(一人は1回戦不戦勝)
さすが3年生、いい緊張感の中、試合を楽しんでいるように見えました。

その後の3年生を見ていると
交剣知愛
 そのものだなと思います。

他校の選手と楽しそうに進学の話などしているのを見ると、彼らにとって11月3日は、全日本の大会を見る日であり。剣道を通じて県内の剣士との最大の交流の日なんだと思います。

ほんとうにほんとうに、引退試合。
勝負には負けても、実りある楽しい一日でした。

2008年11月4日火曜日

全日本剣道選手権大会

11月3日といえば、剣道をやっている方々はこれしかないです。

全日本剣道選手権大会


今年は、寺本選手の2連覇なるかと思ったら準々決勝で負けてしまいました。
それも、正代選手に。あの小手を見たときに、今年は正代選手が優勝だ!!と思いました。
アベ先生的には若生が勝つと思ったとの感想をいただきましたが、やはり正代選手の優勝でしたね。NHKでは準決勝は後半2試合を放送しましたが、あの正代選手の勢いというか、勝つんだというオーラが画面からドゥ~とでてきて、引き込まれるものがありましたから。
結果、正代選手が優勝でしたが、あの無制限の延長を集中力を切らさずにせめて攻め返されて、そして打っていける気持ちの強さってやはり稽古なんでしょうか。本当に、終わりなき剣の道です。

全日本剣道連盟 全日本剣道選手権大会結果

ひねくれ婆と明神様

ここで、ちょっと昔話を一つ
福島のお話です。
昔、磐城の国蓑輪の里のはずれに耕土にいう小さな村がありました。
その名の通り、こんもりと茂った高台には小さな明神様が奉ってありました。
村人達は畑で取り入れがあったり、よそから珍しいものをもらったりすると「まず明神様に」とお供えするぐらい、
この明神様をありがたがっていました。
そんな中、一人のひねくれもののばあさんがおって、明神様にお参りするでもなく、村人達のお供えを平気で持ち帰り食べてしまったりしていた。
そんなばあさんを見ては村人は「今に罰があたるぞ」と注意していたが、ばあさんはまったく耳を貸そうとしなかった。
そんなばあさんを見て隣のじいさまが様子を見にきた。じいさまはばあさんが嫁に来た時から知っていたが、
つれあいのじいさまと一緒の頃は真面目で働き者だったのに、じいさまが死んでから野良仕事もせず悪さばかりしているので、
その理由を聞いてみた。だがばあさんはじいさまの話などするなとすねるばかりで、いっこうに理由を語らなかった。
そんなある日、村のある家で隠居が往生を遂げ、葬式を出すこととなりました。
村に葬式がある時は、村人は遠慮して明神様の前は通らないようにしていました。
ばあさんの隣の家のじいさまは、ばあさんを葬式に誘った。
ばあさんは面倒くさそうだったがとりあえず葬式に行くことにした。
2人は一緒に隠居の家に向かったが、ばあさんはじいさまを逆の道を行こうとしたので、じいさまはどこへ行くのかと聞いた。
するとばあさんは明神様の細道を行った方が早いと言う。
じいさまは今日は縁起が悪いから明神様の道は遠慮した方が良いと言ったが、ばあさんは聞き入れずさっさと歩いていってしまった。
ばあさんは歩きながら「村の決まりがなんじゃ、明神様のしきたりがなんじゃ、この世の中には神様なんておりゃせん。
神様がおるならおらを一人残してじいさまが死ぬわけはない」と独り言をつぶやいた。
そして明神様のほこらの前を通りかかった時、突然空が曇り、
強い風が吹いたかと思うとどこからともなく七色の雲が飛んで来て、そこから大きな白髪の老人が現れた。
ばあさんが驚いてお前は誰だと言うと、「わしはお前にいつもお供え物を取られている明神じゃ」と言った。
ばあさんは驚いて腰を抜かしてしまった。そして明神は「今まで取ったお供物を全部返せ」と言った。
ばあさんが食べてしまったものは返せないと言うと、明神は
「ならばお供物を味わったその舌をもらう」と言ってばあさんの舌を抜いてしまった。
それ以来、ばあさんはしゃべることも食べ物を味わうことも出来なくなってしまった。
隣のじいさまが心配して様子をちょくちょく様子を見に来たが、
自慢の漬け物を食わせても、ばあさんは味もわからないしじいさまと話すこともできない。
そんなばあさんを見てじいさまは「罰が当るというのはこういうことじゃ」と諭した。
ばあさまはそれにうなずくだけだった。
そんなある夜、ばあさんは夢を見た。それはじいさまがまだ生きている頃の夢で、ばあさんは貧しいけれど幸せにすごしていた。
だがじいさまはばあさんに何も告げずどこかへ去っていってしまった。
するとどこからか「婆よ、婆よ」と呼ぶ声がする。ばあさんが驚いて起きると目の前に明神様が立っていた。
「婆よ、じいさまを死なれてから独りで寂しい気持ちはよく分かる。だが人には色々な不幸が起こる。
それをいちいち悲しみすねていたのでは人間生きてはいけん。
これからは一杯になったじいさまと思い出を励みに変えて生きていくのじゃ」と語った。
ばあさんはそれを聞いて明神様に深く礼を言った。その時ばあさんの口からお礼の言葉が出た。
明神様は舌を返してくれたのだ。そしてそれ以来、ばあさんは明神様の言った通りじいさまとの思い出を励みに変えて、
以前のように真面目に一生懸命働いた。
そんなばあさんの姿を村人も暖かく見守った。
そして明神様のおかげで、ばあさんは末永く幸せに暮らしたそうだ。

人間生きていく上で気持ちの切り替えは大事なこと。
悲しみを乗り越えてこそ良い人生が送れる、というありがたいお話でした。

これをどんな風に子どもたちに話そうかな。